こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。
新型コロナの影響により、ほぼ2か月ぶりの更新となってしまいました。
新たな記事を書こうと思えば、書く時間は十分にありました。
しかし、何もかもがいつもの年とは違ってしまった今年の春は、その対応だけで気持ち的に疲れてしまい、何かを書こうという気分にはなれませんでした。
そして、数日前に緊急事態宣言が解除されたこともあり、やっと今日になって、パソコンのキーボードに向かう気分になれました。
さて、今回のコロナ禍によって、飲食店をはじめとして、さまざまな職種の方たちが大きな影響を受けています。
経済への影響はこれからが本番だという見方もあり、これからの世界経済や日本経済の先行きがとても心配です。
経済状況の悪化を伝えるニュースとともに、最近よく耳にするのが大学生たちの苦境です。
バイトがなくなって学費や家賃が払えないという大学生が急増しています。
バブル期の頃の日本では、大学は「レジャーランド」と揶揄されていました。
親のすねをかじりながら、社会に出る前の4年間を、楽しく遊ぶために通う場所と見られていました。
しかし、20年以上にもわたって経済の低迷が続いてきた現在の日本では、親の援助が受けられず、学費や生活費のほとんどを、自らのアルバイトで賄っているという大学生も少なくありません。
そんな大学生たちを、コロナ騒動がいっきに苦境に追いやりました。
私にも大学生の娘がいますので、とても他人事とは思えず、そのような報道に触れるたびに大変心が痛みます。
どうにかして、彼らや彼女たちに勉強を続けてさせてあげられないものか。
切にそう思います。
また、このことに関して心が痛むことがもう一つあります。
世間の冷たい反応です。
この手のニュースについては、インターネット上には冷たい声が溢れています。
「大学は義務教育ではないのだから無理ならやめればいい」
「そもそもバイト代をあてにして大学進学をした時点で間違っている」
「わざわざ家賃の高い東京の大学に進学したのが悪い」
そして、ただ大卒という「肩書」を得るためだけに、無目的に大学に進学したツケだと批判します。
いま苦境に立たされている大学生たちは、ほんとうにたいした目的もなしに、ただ「身の丈に合わない選択」をしたのでしょうか。
ちょっと前にテレビで、理系の学部に通う女子学生のインタビューを見ました。
その学生は勉強に励みながら、学費や生活費のほとんどを、奨学金とアルバイトでまかなっていました。
しかし、アルバイト先がイベント系の会社だったため、今回の騒動でいっきに仕事がなくなってしまったそうです。
将来、研究職に就くことを夢見ていて、大学卒業後は大学院にも進学するつもりだったそうです。
しかし、このままでいくとすべてを諦めなければならなくなります。
インタビューの終わりに、彼女は切なそうにこう言いました。
「勉強って、いつからぜいたく品になっちゃったんですかね?」
その言葉に、同じ年頃の娘を持つ父親として、何ともやりきれない気持ちになりました。
「かなえたい夢があるからこそ、無理をしてでも大学に進学したい」
この考えのどこがいけないのでしょうか。
今回のコロナ禍については、大学生たちには何の落ち度もありません。
問題にすべきは、このような大学生たちが大学進学を選択したことではなく、政府の教育に対する考え方です。
まず、日本の大学の学費は高すぎます。
私立大学であれば年間の授業料は100万円を超えます。
国立大学であっても50万円ほどかかります。
大学には国から補助金が出ていますが、その額は減らされるいっぽうです。
これが大学の授業料がますます高騰している原因です。
先進国では、国立大学の学費は無料という国も珍しくありません。
しかし、これを言うと必ずこう反論する人がいます。
「そのような国の消費税率は、日本とくらべるとはるかに高いんだよ」
確かに消費税だけ見ればそうかもしれません。
しかし、日本では消費税のほかに、ありとあらゆる名目で、さまざまなものに事細かに税金が課せられています。
したがって、トータルで見た場合、収入の半分近くを税金で持っていかれる、れっきとした「重税国家」なのです。
そのような多額の税金を支払ってもなお、子どもの教育は各家庭の負担でおこなってくださいというのが日本政府の姿勢なわけです。
また、先進国の中で給付型の奨学金がない国はほとんどありません。
しかし、日本にはその給付型の奨学金がないのです。
教育は国にとっての「先行投資」です。
その大事な「先行投資」を渋るようでは、国としての明るい将来は期待できません。
今回のコロナ禍で、政治をはじめとしてさまざまな問題が浮き彫りになりました。
今、日本は大混乱の中にありますが、これをきっかけとして、それらの問題が解消される方向に向かってくれることを切に願います。
今日はこのへんで。