ぬるま湯の時代

こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。

コロナウイルスの影響が日本各地に広まっています。

栃木県では、11日に予定されている県立高校の合格発表の掲示が取りやめとなり、各校のHPでの発表のみとなりました。

一斉休校をはじめとして、今年はいろいろなことが、いつもの年とは違った様子になってしまっています。

人生の節目にあたる行事が、ことごとく中止や縮小になってしまっている学年の子たちが本当にかわいそうです。

この騒ぎがおさまったあとで、今回のマイナスを取り返すくらいに、思いっきり新生活を楽しんでもらいたいと思います。

さて、昨日は県立高校の一般選抜試験でした。

今朝、新聞に掲載されている問題にじっくりと目を通しました。

教科によっては若干の難化や、出題形式の変更などが見られましたが、全体的に見て例年通りの出題だったと思います。

毎年、入試の翌日に問題を見て、つくづく思うことがあります。

それは「入試問題というのは3年間の学習の積み重ねで解くものである」ということです。

入試問題を見ると、3年間という長い時間をかけて、コツコツと知識を積み上げてきた生徒のみが解けるような問題が目立ちます。

いわゆる「付け焼刃的」な勉強で解けるような問題は、年々減っています。

高校入試は、中学3年間の「集大成」ですから、当たり前といえば当たり前のことです。

しかし、足利では、多くの子どもたちが、高校入試は付け焼刃的な勉強でもどうにかなると考えているのです。

このブログでもたびたび書いていますが、足利の子どもたちの平均学力はきわめて低く、他の地域の子どもたちとくらべると、本当に目を覆いたくなるようなレベルです。

ですから、足利市内の県立高校のレベルはとても低く、高校によっては、下野テストで偏差値30台の子でも合格できます。

近隣の地域を見渡してみても、偏差値30台で合格できる県立高校はありません。

ふつうは「私立単願」のレベルです。

また、足高や足女も、ほかの地域の進学校とくらべると、とても進学校とは言えないレベルになってしまっています。

一般的な地域であれば、進学校とは、だいたい偏差値60以上の高校のことを言います。

しかし、現在の足高や足女は、偏差値55以下の子でも合格が可能です。

これほどまでに、地域全体の入試のレベルが低いため、多くの中学生が、付け焼刃的な勉強でもどうにかなると思ってしまうのも無理はありません。

また、実際のところ、どうにかなってしまっている側面もあります。

しかし、これからは、そうはいかなくなる可能性が高いことは、過去に何度も書いた通りです。

現在、県の教育委員会は「高校再編計画」を推し進めています。

ご存知のとおり、今年度の入試から、足利工業高校の電気科と電子機械化が、電気システム科と名称を変えて、1つのクラスに統合されました。

来年度の入試からは、足利清風高校で情報処理科の募集がなくなります。

また、再来年度は足利高校と足利女子高校が合併します。

合併の原因はもちろん少子化です。

足高、足女ともに、少子化に合わせて、ここ何年もの間、募集定員を減らしてきました。

その結果、配置される教員の数も減っており、科目によっては教員の数が不足する事態になっています。

県立高校では、配置される教員の数は、その高校の生徒の数によって決まりますので、これは仕方がありません。

この問題を解決するには、両校を合併して生徒の数を増やすしかありません。

しかし、合併の目的はそれだけではありません。

実はもう1つ重要な目的があるのです。

それは、足高と足女のさらなる「レベル低下の阻止」です。

少子化により競争倍率が下がった結果、現在の足高と足女には、昔であれば合格できなかったはずの生徒が数多く合格しています。

そのため、両校ともに、学校全体を通したレベルの低下にとても頭を悩ませています。

これ以上のレベルの低下を阻止し、足高、足女を昔に近いレベルに戻すためには、さらに突っ込んだ定員の削減が必要です。

しかし、これをそれぞれの学校で別々におこなってしまうと、両校ともに学校の規模が小さくなりすぎてしまい、学校そのものが維持できなくなってしまいます。

そこで、合併によって両校を1つにまとめ、そのうえで定員の削減をおこなおうという考えなのです。

したがって、合併によってできる高校のレベルは、現在の足高や足女のレベルよりも上がることが予想されます。

現在、足高や足女にギリギリで合格している子たちと同程度の学力では、合併校には合格できないということなのです。

合併校のレベルが上がるということは、その影響を受けて、その他の高校のレベルも上がるということを意味します。

さらに言えば、それは、付け焼刃的な勉強でも、高校入試を乗り越えることができた時代の終わりを意味するのです。

「ぬるま湯の時代」はもう終わりです。

今日はこのへんで。