未来を考えるきっかけに

こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。

今日の下野新聞の一面トップは「県内19年人口社会動態 転出超過拡大3642人 4657人、首都圏へ流失」という記事でした。

地方の人口流失は今に始まったことではありません。

しかし、私がこの記事で危機感を感じたのは足利市の数字でした。

足利市は2年連続で県内のワースト1位という不名誉な結果となっています。

18年度はマイナス568人、19年度はマイナス554人で、この数字は県内でも群を抜いています。

ちなみに、栃木県で一番人口が多い宇都宮市で、19年度はマイナス359人です。

宇都宮市の人口はおよそ51万8千人で、足利市のおよそ3.6倍です。

宇都宮市よりはるかに人口が少ない足利市で、なんと、宇都宮市の1.5倍を超えるマイナスを記録しているのです。

足利市を抜いて県内人口2位の小山市では、19年度のマイナスはたったの29人でした。

ちなみに、小山市の18年度はプラス363人です。

これらの数字から、県内のほかの自治体とくらべても、足利市からの人口流失がいかに大きいかがわかります。

なぜ、足利市だけがこれほどまでの数字になっているのでしょうか。

私なりに考える理由はあります。

しかし、それを語るとブログの趣旨を逸脱してしまいますので、あえて避けます。

語らなくてはならないのは、この足利で育つ子どもたちの未来についてだと思います。

ですから、その点を中心に書きたいと思います。

これから5年後、10年後、この街で暮らしていくのはますます大変になると思います。

当たり前ではありますが、暮らしていくにはお金が必要です。

そして、お金を得るためには仕事が必要です。

しかし、足利にはその仕事が十分にはありません。

自分で商売を始めるにしても、商売はお客さんがいなければ成り立ちません。

しかし、足利の人口は年々減り続けています。

ですから、毎年多くの若者たちが、専門学校や大学の進学を機に足利を離れ、卒業後もそのまま戻ってこないのです。

足利に残る子も一部にはいますが、その数はこれからますます減るでしょう。

日本経済縮小の影響を最も強く受けているのは、足利のような地方の街です。

よほど政治面で劇的な変化でも起きない限り、これからも日本経済は縮小しつづけると予想されます。

したがって、足利周辺でよい就職先を見つけることはさらに難しくなるでしょう。

結論としては、将来どのような進路を希望するにせよ、足利の子どもたちは、足利以外の場所でも暮らしていけるように、しっかりと準備しておいたほうがいいということです。

それでは、具体的にどうしたらいいのでしょうか。

たびたび触れていますが、足利の子どもたちの平均学力は県内でも「最低レベル」です。

かつては、両毛地域の中でも有数の進学校であった足高と足女は、いまや太高と太女に大きく抜かれ、かなりのレベル差をつけられています。

足高、足女ともに合格者の平均偏差値は55前後で、もはや進学校のレベルにありません。

その証拠に、足高や足女で上位の成績を取っている子でも、トップクラスの大学にはなかなか手が届きません。

したがって、足高や足女(またはその合併校)を目指すご家庭は、決して合格することのみを目標としてはいけません。

中3の時点で、最低でも偏差値60(下野テスト)を目指してください。

そうでなければ、たとえ足高や足女に合格しても、その3年後に国公立大学や有名私立大学に合格することは不可能です。

また、たとえ大学に入っても、ある一定のレベル以上の大学でなければ、就職活動の際にしっかりとした企業からの内定はもらえません。

そのような意味からも、足高や足女は「余裕の上位合格」を目指さなければならないのです。

また、大学以外の進路を希望する場合も考えてみたいと思います。

足工や足南は、いまや偏差値が30台でも合格できるまでにレベルが落ちました。

しかし、高校には「その先」があります。

中学時代に偏差値が30台しかなかった子が、給与や福利厚生のしっかりとした企業から内定をもらうことは不可能です。

なぜなら、清風や足工には、かりに足高や足女を受験すれば合格できたような生徒もいて、人気のある企業の内定は、ほとんどそのような生徒が取っていってしまうからです。

さらに付け加えれば、足利以外の地域では、商業高校や工業高校であっても、合格するのに50近い偏差値が必要です。

したがって、足利以外での就職を考える場合には、なおさら物事を「足利のレベル」で考えてはいけないのです。

これは、専門学校などに進学する場合も同じです。

自分が住む街が衰退していくのを見るのは悲しいものがあります。

しかし、現実から目をそむけるわけにはいきません。

大人はともかく、子どもたちには未来があります。

今日の新聞記事は、その未来について考えるきっかけになるのではないでしょうか。

今日はこのへんで。