こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。
今日、お昼過ぎに出勤すると、教室正面に設置してあるエアコンの室外機の上に何かが置かれていました。
オロナミンCの空きビンです。
私の教室は足利駅から北方向にまっすぐ伸びるグランド通り沿いにあります。
駅からの距離は約300mです。
ですから、駅を利用している人が、たばこの吸い殻やパンの空き袋などを、教室の前にたびたび捨てていきます。
しかしながら、室外機の上にどうどうと空きビンが置かれていたのは今回が初めてです。
ポツンと置かれた空きビンを見て、私はしみじみと思いました。
「きっと想像力が足りないんだろうな」
自分が捨てたゴミを、わざわざ片付ける人がいることなど、考えてもみなかったのだと思います。
それよりも、たまたまビンを置いていくのにちょうどいい高さの場所があったので、瞬間的に「おっ、ラッキー!」と思った程度なのでしょう。
最近思うのは、どうも「自分の行動のその先」が考えられない人が多いのではないかということです。
私の塾は自他ともに認める「成績が上がる塾」です。
しかし、残念ながらすべての生徒の成績が上がるわけではありません。
わずかな人数ではありますが、成績が上がらない生徒もいます。
そのような生徒に共通しているのは、私の指示した家庭学習をおこなわないということです。
塾の授業を真面目に受けても、それだけでは成績は上がりません。
それにプラスした家庭学習が必要不可欠です。
ですから、私はたびたび生徒たちに家庭学習の大切さを説き、その指示を出します。
ほとんどの生徒はそれをしっかりとおこなってくれます。
しかし、ごく一部の生徒はそれができないのです。
もちろん、そのような生徒に対しては、家庭学習の大切さをくり返して説きます。
場合によっては、保護者様に連絡をして改善の方法を一緒に考えます。
それで改善される場合もあります。
しかし、それでもいっこうに改善されないケースもごく稀にあるのです。
いったい何が原因なのでしょうか。
それは「想像力の欠如」です。
誰しも勉強はしたくありません。
では、なぜ勉強をする子は勉強をするのでしょうか。
それは、勉強をしないと自分にとって、この先どんな不都合が待っているかを想像できるからです。
ですから、それを回避するために勉強をするのです。
しかし、そのいっぽうで、勉強をしないことによって生じる不都合を、自分に起こり得ることとして想像できない子もいるのです。
そのことを何回説いてもです。
私はここに学習塾の限界を感じます。
塾にいて、生徒が私と接するのはせいぜい週に数時間です。
ですから、子どもたちが変わるきっかけを作ったり、変わるための手伝いはできますが、私の力だけで子どもたちを根本的に変えることはできません。
「どうぞ安心して当塾にすべておまかせください」
あちこちで見かける塾の宣伝のように、こう言いたいところですが、それはウソになるので言えません。
確かに塾に通って変わったとういうケースもあります。
私の塾でも数え切れないほどあります。
しかし、それはその子がもともと変わることのできる子であって、塾はそのきっかけを与えたに過ぎないのです。
これは私の塾に限らず、どこの塾であっても同じです。
週にたった数時間しか顔を合わせない塾の講師が、生まれて以来、ずっとその子に接してきた親よりも大きな影響力を持つことはあり得ません。
その子の内側に劇的な変化をもたらすことができるのは親だけです。
では、子どもを勉強に向かわせるために、親として具体的にどのような態度が求められるのでしょうか。
子どもに、もっと「大人」になってもらうことを考えるべきです。
想像力の乏しさは、精神的な幼さから来ています。
大人は、やりたくないことであっても必要があればやります。
しかし、幼い子の場合、それが必要なことであっても、やりたくなければやりません。
まずは、この態度から変えていかなければなりません。
親として、そのために必要なのは「きびしさ」と「覚悟」です。
「やらなければならないことをやらなかったらどうなるか」
このことを、子どもに身をもって体験させる必要があります。
例えば、事前に親子間で決めておいた点数を下回った場合、子どもの使っているスマートフォンを解約するなどです。
「何もそこまで」と思うかもしれませんが、実際にそうしたご家庭もあります。
私も子を持つ親ですから、そう簡単にはいかないのはわかっています。
しかし、いくら口で「勉強しろ」と言っても、子どもは決して勉強するようにはなりません。
「これは本当に勉強しないとマズいな」
子ども自身が本気でこう思うような状況が必要なのです。
「このままじゃダメだ」
人間は自分自身が変わろうと思わなければ変わることはできません。
そのためには、親は時として覚悟を決めて、心を鬼にする必要があるのかもしれません。
今日はこのへんで。