「なぜ勉強するのか?」という永遠の問いに答えてみる  ─自由になるために学ぶという話。

こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。

今日は本当に暑い一日でした。

まだ6月だというのに、気温はなんと37℃。

外に出た瞬間、熱気で息が詰まりそうになるほどでした。

夕方から教室に来て、今は授業前のひとときにこのブログを書いています。

エアコンはもちろん全開。

でも、それでも教室がなかなか冷えません。

どうやらこの暑さは、エアコンにとっても想定外だったようです。

明日はもっと早い時間からタイマーで稼働させておく必要がありそうですね。

さて、今日は授業前に少しだけ、「なぜ勉強をしなければならないのか?」という、ある意味で永遠のテーマについて、改めて考えてみたいと思います。

これは、子どもたちが誰もが一度は思う疑問ですし、正直なところ、私自身も子どものころにはそう感じていました。

たしかに、字の読み書きや簡単な計算くらいはできないと、大人になってから困るのは誰でも想像できます。

でも、それ以外の内容──たとえば因数分解だとか、歴史の年号や化学式など──そういった知識が、将来どれだけ役に立つのかと言われると、正直なところ、実生活に直結する場面はそれほど多くありません。

だからこそ、「なんでこんなことを我慢して勉強しなきゃいけないんだろう」と感じている子は多いはずです。

では、果たしてその問いに対する答えは何なのか?

私は、生徒たちにこう答えるようにしています。

「それは、自由になるためだよ」と。

人は、学びを重ねることによって、将来自分で選べる道が広がっていきます。

自分の人生を、自分で決める自由を手に入れるために、今の勉強があるのです。

たとえばわかりやすい例でいうと、高校入試。

しっかり勉強してきた子は、たくさんの選択肢の中から、行きたい高校を選ぶことができます。

けれど、勉強をしてこなかった子は、たとえ「この高校に行きたい!」と願っても、学力が足りなければ受けることすらできません。

選択肢に大きく制限がかかります。

もっと厳しい言い方をすれば、私立の単願レベルの学力しかない場合は、たとえその学校が本意でなかったとしても、「そこしか選べない」現実に直面することになります。

これは大学入試でも同じことが言えます。

学力があれば、選択肢は広がる。

学力がなければ、選べない。

そして、職業を選ぶときにもこの差ははっきりと表れます。

学生時代にたくさん学んだ人は、自分がやりたい仕事、自分が興味ある道を目指すことができます。

しかし、そうでない人は、「選べない」中から何とか一つを選ぶしかないのです。

自分が望んでいない仕事に就く可能性だって高まります。

以前もこのブログで書いたことがありますが、当然どんな仕事に就くかによって、得られる収入も変わってきます。

もちろん、人生においてお金がすべてではありません。

でも、「お金があるかどうか」で、人生の自由度が大きく変わるのも事実です。

お金があれば、自分がしたい経験を自由に選ぶことができます。

しかし、お金がなければ、やりたいことがあっても「できない」「我慢するしかない」という選択を強いられてしまう。

「お金を得る」方法は、別に勉強だけではありません。

いい高校・いい大学・大きな会社というルート以外にも、たとえばスポーツや芸術、起業などの道があります。

でも、そういった道は、圧倒的な才能や努力が必要になります。

たとえばプロのスポーツ選手。

成功すれば大きな収入を得ることができますが、そこにたどり着けるのは、才能ある人たちの中でも、さらにほんの一握りの存在です。

大半の選手は、プロにすらなれずに終わってしまいます。

また、たとえプロになれたとしても、大きく活躍できないまま引退してしまう選手がほとんどです。

ちなみにNPB(日本野球機構)の発表によると、プロ野球選手の戦力外や引退の平均年齢は26.3歳、平均在籍年数は6.3年と、年々低年齢化し、在籍年数も短くなっているようです。

だからこそ私は、「勉強ほど確実性の高い投資はない」と考えています。

スポーツや芸術の世界は「0か10か」の世界。どれだけがんばっても、10に届かなければ、報われないことも多い。

でも、勉強は違います。

全員が東大に行く必要はありません。

6であっても、7であっても、8であっても、がんばった分だけ、自分に合った道が必ず見えてきます。

そこが勉強の素晴らしいところです。

だから私は、生徒たちにこう伝えたい。

「自分なりにがんばって、今より少しでも上に行こう」と。

その努力は、将来の自分を少しずつ、でも確実に自由にしてくれる。

たとえ今、勉強が苦手でも、今日より明日、明日より明後日と、少しずつ成長していけばいいのです。

がんばった分だけ、人生の可能性は広がる。


その積み重ねが、自由に満ちた人生をつくっていくのだと、私は信じています。

今日はこのへんで。