投稿者「johnny」のアーカイブ

勉強で広がる視野と世界の解像度

8月になりました。

ここのところ、ようやく雨が降る日も出てきて、日によっては気温も和らぎ、過ごしやすいと感じられる日もあります。

連日続いた厳しい暑さが少しだけ落ち着き、ほっとしている方も多いのではないでしょうか。

私自身も、朝夕の空気が少し涼しくなっただけで、気持ちが軽くなるような気がします。

当塾の中学3年生の夏期講習も、いよいよ後半戦に入りました。

残りの日数はあとわずか。

ここまでの道のりは決して楽ではありませんが、ゴールが見えてくると、不思議と疲れよりも達成感や充実感が勝ってくるものです。

今は理科と社会を中心に授業を進めています。

この二つの教科は比較的「即効性」が高く、真剣に取り組めば短期間でも成績を大きく伸ばすことが可能です。

理解するべきポイントがはっきりしており、努力がそのまますぐに結果につながりやすいからです。

実際、過去にも夏休みのこの時期に集中して理社を鍛え、次のテストで大幅に点数を伸ばした生徒がたくさんいます。

今月24日には下野テストが控えています。

そこですぐに今回の学習の成果を発揮できることを、私も大いに期待しています。

さて、以前このブログで「なぜ勉強をしなくてはならないのか」というテーマについて書いたことがあります。

そのときに私が出した結論は、「人生における選択肢を増やし、自分が望むように自由に生きるため」、つまり「自由になるため」でした。

この考えはいまでも変わっていませんし、同じようなことを語る人も少なくありません。

けれど今日は、同じテーマを別の角度から考えてみたいと思います。

私が考えるもう一つの答えは、「世の中をはっきりと見ることができるようになるため」です。

私自身もそうですが、多くの人は実際のところ、自分を取り巻く世の中のすべてを鮮明に見えているわけではありません。

むしろ、日々をなんとなく、ぼんやりとした視界で過ごしているように思います。

「いや、自分の目はちゃんと見えている」と反論する方もいるでしょう。

確かに、視力に問題がなければ物理的な意味で見えにくいことはありません。

ですが、私がここで言いたい「見える」というのは、目の機能の話ではありません。

人間は、自分の目の前に存在するあらゆる情報を、平等に受け取っているわけではありません。

たくさんの情報の中から、自分が関心を持っているもの、自分の考え方や価値観に合うもの、あるいはすでに知っていて馴染みのあるものだけを選び取る傾向があります。

これは、日常生活でもよく起こります。

例えば、ずっと探していたものが、実はすぐ目の前の机の上にあった、という経験はないでしょうか。

それは、「この辺にあるはずだ」とか「そう簡単には見つからないだろう」という思い込みによって、本来なら目に入るはずのものを意識がスルーしてしまった結果です。

勉強は、この「選び取る情報の範囲」を広げてくれます。

子どもたちにとっては、関心を持つ対象を増やし、さまざまな思考の方法を知り、世の中の多様な分野の知識を得るための土台作りです。

学ぶことで、世の中の「解像度」が上がるのです。

例えば、政治に関心がなければ、選挙のニュースを見ても「自分には関係ない」と思ってしまうかもしれません。

けれど、公民を学ぶことによって、政治や選挙の仕組みや背景を知れば、そのニュースが自分や家族、地域の未来にも直結する重要な出来事であることがわかります。

そのほかの科目も同じです。

英語を話すことができれば、世界中に友人を作ることが可能となり、自分とは異なった文化や価値観に触れることができます。

夜空の月や星は、知識がなくてもきれいに見えますが、そこに天文学や地学の知識が加わると、ただ美しいだけではなく、その成り立ちや意味を深く感じ取ることができます。

歴史や地理を学べば、旅行先の風景や建物が「ただの景色」ではなく、長い物語や文化を背負った存在として見えてきます。

国語の学習は、自らの思考を深く整理し、それをほかの人に対してわかりやすく表現できる力を与えてくれます。

数学を学べば、感情に流されず、筋道立てて物事を考える力や、複雑な状況を整理して解決策を見つける力が養われます。

こうしたことが積み重なることで、私たちの世界の見え方は変わります。

それまでぼやけていた景色が、リマスター影像のようにくっきりと見え始め、選べる道や方法も増えていきます。

最近では古い時代の写真や映像が、最新の技術によってつぎつぎに高画質なものへと生まれ変わっています。

そしてそれらを見ると、自分とはあまり関係のない遠い過去の情景にしか見えなかったものが、何だかとても身近なもののように感じられてきます。

このように勉強とは、言い換えれば「世界のあらゆるものにリマスターを施していく作業」なのかもしれません。

学ぶことで、これまで気づかなかったものに気づき、何気ない日常の中にも新しい発見や意味を見つけられるようになる。

そして、人生がよりいっそう豊かなものとなる。

そんな経験を、これからも生徒たちに味わってほしいと思います。

今日はこのへんで。

(写真は先日、函館を訪れた際に見つけた「GLAY」のマンホールです。デザインは「ONEPIECE」の尾田栄一郎さんです。そういえばGLAYのみなさんは函館出身でしたね。私はBOØWY世代なので、GLAYはあまり聞かないのですが、グロリアスとか、Winter,again などが好きです。夏期講習が終わったら、ギターで弾けるように練習したい思います)