こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。
先日の中1の授業でのことです。
二中の生徒が、遠足で宇都宮に行ってきたということで、栃木県の人口の話になりました。
栃木県全体の人口はおよそ193万人で、県内1位の宇都宮はおよそ52万人です。
2位の小山市はおよそ17万人、3位の栃木市はおよそ16万人、足利は4位でおよそ14万人です。
かつて、長らく県内2位だった足利は、だんだんと人口を減らしつづけて、今や県内4位です。
以前、下野新聞の記事から、足利の人口が、かなりの勢いで首都圏に流出していることを書きました。
現在の市内の様子を見ていると、これからもますます流出が加速していきそうです。
「このままだと足利の人口はさらに減って、20年後とか、かなりヤバいことになってそうだな~」
私がため息まじりにこう言うと、ある男子生徒がこのように質問しました。
「何人くらいになっちゃうんですか?」
「う~ん、それはわかんないけど、かなり少なくなるのは確かだな」
「じゃあ、3人くらいですか?」
さすが、ついこの前まで小学生だっただけのことはあります。
ノリがまだ完全に小学生男子です。(笑)
そこで、私はすかさず、クラス全体に向かってこう聞きました。
「じゃあ、仮に3人だったとして、その3人のなかに入りたいっていう人はいる?」
すると、クラスの男子ほぼ全員が、迷うことなくスッと手を挙げるではないですか!
すばらしき郷土愛、すばらしき足利愛です。(笑)
「君たちがいれば足利はきっと大丈夫だよ」
そう言って、私は国語の授業を始めました。
さて、国語が苦手な中学生は少なくありません。
特に、男子生徒に苦手な子が多いようです。
「国語はどのように勉強したらよいかわからない」
実際に、生徒や保護者様からこのような声をよく聞きます。
では、国語はいったいどのように勉強したらよいのでしょうか。
国語を勉強するにあたって、必ず心に留めておいてもらいたいことがあります。
それは、国語の答えには、それが正解となる根拠が、必ず存在するということです。
例えば、記号選択の問題ですが、答えが「ア」であれば、本文のなかに「ア」が正解となる根拠が必ずあるわけです。
ここでポイントとなる点があります。
それは「本文のなかに」というところです。
国語が苦手な生徒は、答えの根拠を本文のなかに求めず、自分に求めてしまっています。
「自分だったらこう思う」という考え方で、答えを決めてしまっているのです。
それではいけません。
趣味的な楽しみとして小説などを読むときは、自分なりの受け止め方で、自由に読んでもらって構いません。
むしろ、そのほうが読書の楽しみは増します。
しかし、国語の問題でそれをしてしまうと、1つの問題に正解がいくつも存在することになってしまいます。
同じ文章を読んでも、人によって受け止め方が違うからです。
したがって、国語で答えを求める際、唯一その根拠としていいのは、本文に書かれている内容のみなのです。
このようなことから、国語の問題を解くということは、答えを考える作業ではなく、本文のなかから答えを探してくる作業とも言えます。
そのことがわかっていないと、何となく考えて、何となく答えを決めて、そして間違えるということを、いつまでもくり返すことになります。
記号選択の問題であれば、たまたま当たることもあるかもしれません。
しかし、それは「たまたま」です。
ですから、そのような場合は、正解の根拠が本文のどこにあるかを、あらためて探してみる必要があります。
そして、そのようなことを積み重ねていけば、記号問題だけではなく、記述問題に対応する力もついてくるのです。
国語は小さなころからの読書習慣がないと点数が取れない。
一般的にこのように信じられています。
確かに、小さなころからの読書習慣がある子は、知っている語彙の量や、読むスピードの速さなどで有利であることは間違いありません。
しかし、読書をしている割には、国語の点数があまり芳しくない子もいます。
それは、今まで述べてきたような考え方に、慣れていないからです。
残念ながら、学校の授業でそれらを教わることはできません。
学校では、そのようには国語を教えていないからです。
ですから、国語が苦手な子にとっては、国語は勉強方法すらわからない、まったく手の打ちようがない教科とも言えます。
「国語はやっぱりセンスだよ」
そして、このように自分を納得させて、点数アップを諦めてしまうのです。
国語に必要なのは「センス」ではありません。
正しい「考え方」とその実践です。
私の授業では、それを徹底的に指導します。
そして、数学の計算問題を解くように、だれもが国語の問題を解けるように導きます。
森戸塾の授業には、学校の授業や、ほかの塾の授業にはないものがあります。
それが、私の塾がこの足利に存在する理由というわけです。
今日はこのへんで。
