準備に勝るものはなし

こんにちは。 足利の学習塾 森戸塾の森戸です。

県立高校の一般選抜入試まであと2日にせまりました。

現在、当塾では、1週間にわたる直前授業で最後の仕上げの真っ最中です。

みんな真剣にがんばっています。

突然ですが、県立高校入試の国語で出題される「作文」の配点をご存知でしょうか。

栃木県は20点です。

100点満点中の20点ですから、かなりの割合です。

もちろん、入試の合否は国語のみで決まるわけではありませんが、この作文がしっかり書けたかどうかが、合否に大きく影響することは間違いありません。

栃木県の作文は、他の都道府県とくらべると、書かなければならない字数が多いのが特徴です。

具体的には300字程度の字数が要求されます。

これは、群馬県のほぼ2倍です。

したがって、栃木県の受験生は、短い時間で自分の考えをまとめて、スピーディーに文章を書かなければならないのです。

日本の学校教育では、作文の書き方を系統的に学ぶ機会がほとんどありません。

「作文」とは、生徒の自由な感性にもとづいて書くものであるという考え方があるからです。

しかし、入試で課される「作文」は、受験生の感性を見るためのものではなく、理論的な思考力と、的確な表現力を見るためのものです。

ですから、学校のように「好きなように書きなさい」ではダメなのです。

そもそも「好きなように書きなさい」では、作文が苦手な子は子はまったく書けません。

何をどう考えて、どう書いたらいいかがまったくわからないからです。

実は、入試の作文には、明確な「考え方」と「書き方」があるのです。

そして、その「方法」を学ぶことにより、作文が苦手な子でも、点数の取れる作文が書けるようになるのです。

まず、作文には基本となるフォーマット(型)があります。

思ったように自由に書くのではなく、あらかじめ決まったフォーマットにしたがって書くのが入試の作文なのです。

つぎに、与えられた課題の「読み取り方」があります。

出題者の意図を見抜いて、的確に課題を読み取らないと、作文がものすごく書きにくくなってしまいます。

作文がスラスラと書けるかどうかは、この課題の読み取りにかかっているのです。

さらには、課題に対する自分の考えのまとめ方、そして、その考えを読み手に効果的に伝える方法もあります。

また、相手に伝わりやすい文章のテクニックや、全体を通した字数の調整法なども学ぶ必要があります。

このように、点数の取れる作文を書くためには、そのための「方法」や「テクニック」をしっかりと学んだうえで、それをくり返し訓練しなければならないのです。

実際に、これらを指導する前と後では、生徒たちの作文は劇的に変化します。

ところで、本番の入試では、国語の試験は50分で実施されます。

ほかの問題とのバランスを考えた場合、作文に割ける時間は最大で15分程度です。

できれば、10分程度で書き上げることが望ましいです。

そこで、本番直前ということもあり、先日の直前授業では、いままで以上に時間を意識した実践訓練をおこないました。

予想問題を10問ほど用意して、1問あたり10分を目標として生徒たちに取り組んでもらいました。

最初の数問は、15分かかっても書ききれない生徒が何人かいました。

しかし、回を重ねるごとにスピードがアップしていき、最終的には全員が10分程度で書き上げられるようになりました。

入試の本場では、国語の試験が最初におこなわれます。

したがって、国語の試験がうまくいかないと、ほかの教科にも影響が及びかねません。

しかし、この調子であれば全員大丈夫そうです。

ところで、私が言うのも矛盾していますが、本来、塾などないほうがいいにきまっています。

塾がなければ、余計な時間もお金もかかりません。

保護者様も送迎の手間はありませんし、子どもたちも夜の時間を家庭内でゆったりと過ごせます。

しかし、現状では、学校の指導のみで高校入試に合格することは困難です。

平均倍率が1.1から1.2程度の県立高校入試においては、合格できた子の数に対して、できなかった子の数はほんとうに少数です。

しかし、合格できなかった子の多くは、塾に通っていなかったか、通い始めるのが遅すぎた子たちなのです。

言い方を変えれば「高校入試を甘く見ていた子たち」です。

年によっては、たまたま定員割れで、受験した全員が合格といったこともあります。

しかし、それはほんとうに「たまたま」です。

今年そうだからといって、来年も同じようにそうなるとは限りません。

来年度は清風高校の情報処理科の廃止、再来年は足高と足女の合併が予定されています。

これからの状況は不透明です。

しかし、1つだけ確実に言えることは、どのような状況になったとしても、しっかりと準備をしていた人は何の影響も受けないということです。

何事も準備に勝るものはありません。

今日はこのへんで。