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5分の1だけの責任

こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。

8月になりました。

森戸塾では2日より中3の夏期講習が始まりました。

中3の夏期講習は、例年だと合計20日間の日程でおこなわれますが、今年は学校の夏休みが短くなってしまった都合で、合計10日間での実施です。

しかし、総時間数そのものは減らしていませんので、1日の授業時間は5時間となります。

生徒たちはまだ若いので、体力的には問題ないでしょう。

問題は私です。

1日5時間の授業は、50歳の老体には正直言ってきびしいです。

しかし、ここは生徒のためです。

老骨に鞭打ってがんばりたいと思います。

このように、長時間の授業をするのが、だんだんとしんどくなってきた話をすると、多くの人がこう言います。

「それなら、アルバイトでも雇って授業を任せたらいいんじゃない?」

確かに時給1500円くらいでアルバイトを雇い、私の代わりに授業をしてもらったら体力的にはかなり楽です。

しかし、それでは森戸塾が森戸塾ではなくなってしまいます。

森戸塾は私が教えているから森戸塾であり、私以外のだれかが教えたら、それはもう森戸塾ではありません。

私は、会社組織の大手学習塾と、個人の経営する個人塾の違いをこう考えています。

大手学習塾の場合、保護者様は塾の「看板」を信頼して子どもを預け、個人塾の場合は、塾の「先生」を信頼して子どもを預けている。

もっと言えば、個人塾の場合は、その先生に教わることを目的に、わざわざその塾を選んでくれているわけです。

もちろん、森戸塾もそのような理由で保護者様や生徒に選ばれています。

ですから、せっかく私に教わることを期待して塾に入ったのに、違う先生が出てきたらガッカリだと思います。

いや、ガッカリどころか「それでは話が違う!」となってしまうでしょう。

このように、個人経営の学習塾では、商品はその塾の先生そのものなのです。

また、塾の授業というものにはマニュアルがありません。

大手の学習塾などでは、マニュアルらしきものが存在するところもあるようですが、それだけで完ぺきな授業ができるというものではありません。

マニュアルに書かれていることは、ほんとうに最低限の事だけであり、しっかりとした授業をおこなうためには、状況に応じたとっさの判断やアドリブなどが求められるからです。

とてもアルバイトの講師にできることではありません。

ですから、よほど信頼できる人物がいれば話は別ですが、私は基本的に自分以外のだれかに授業を任せたいとは思わないのです。

たとえ体力的にきつくても、森戸塾に来てくれた生徒全員を、自分で責任を持って指導したいと考えているのです。

「1人ですべての教科を教えるなんてすごいですね」

よく言われる言葉ですが、これはすごくもなんともありません。

かりに一流でなくても、ふつうのレベルの大学を卒業していれば、中学生の内容くらいは全教科教えられるはずです。

そうでない講師は、教えられないのではなく教えようとしていないだけです。

要は、能力の問題ではなく、意識の問題というわけです。

中学校と同じように、ほとんどの学習塾では教科ごとに担当講師が変わります。

私がかつて勤めていた学習塾でもそうでした。

当時はあまりにも当たり前すぎて、この仕組みに何の疑問も感じませんでした。

しかし、ひとりですべての教科を教えるようになると、自分の中にある変化が起こりました。

生徒の指導に、より強い責任感を感じるようになったのです。

1つの教科しか教えていなかった頃の私は、自分が教えている教科の成績が良ければ、それで満足でした。

そのほかの教科の成績については、あまり強い関心がなかったような気がします。

生徒の成績に対して自分が負うべき責任は、全体の「5分の1」で、残りの5分の4は、ほかの講師の責任であると考えていたのです。

ですから、自分の塾を立ち上げて、すべてをひとりで教えなければならなくなったときは、正直言って不安でした。

しかし、今では毎日、独立以前には感じたことがなかったような使命感や充実感を感じながら、生徒たちを指導しています。

ところで、塾を開く以前のことですが、どのような名前の塾にしようかと、いろいろと考えました。

横文字やカタカナの名前など、たくさんの候補を挙げてみましたが、いまいちピンとくるものがありません。

そのような中で唯一しっくりときたのが「森戸塾」でした。

何の工夫もないネーミングですが、つねに責任ある仕事をおこなっていくためには、塾の名前に自分の名前を入れることが一番だと考えたからです。

ですから、森戸塾という名前は、私自身の仕事に対する覚悟の表れでもあるのです。

けっして考えるのが面倒くさかったわけではありません。

最初の頃は気恥ずかしさもあって、自分の名前を使ったことを後悔したこともありますが、今ではこれでよかった思っています。

今日はこのへんで。