こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。
先日、JR足利駅北口前の交差点を通ると、何となくいつもと様子が違うことに気がつきました。
ご存知の方も多いと思いますが、足利駅の駅前には宇都宮を中心に教室を展開する、栃木県の中でも最大手の学習塾が進出しています。
交差点に面した大きな看板には、その塾の合格実績が、カラフルな色彩でデカデカと書かれており、通りがかる人の目を引いていました。
しかし、今回通ってみると、看板は依然としてあるものの、ホワイトボードのように真っ白で、何も書かれていないのです。
「もしや?」と思い、建物に近づいてみると、外では作業員の人たちが何かをおこなっていましたが、中はガランとしていて、すでに何もない状態でした。
足利から撤退のようです。
念のためにホームページで確認すると、やはり足利校の情報は削除されており、どうやら撤退は間違いないようです。
ほぼ同時期にオープンした佐野校は健在のようで、安足地区での撤退は足利だけのようです。
私は今から18年前に、それまで勤めていた大手学習塾を辞めて、自分の塾を立ち上げました。
立ち上げ前に、もとから足利に住んでいる友人や知人に相談をしましたが、返ってくる言葉は必ず同じでした。
「悪いことは言わないからやめておけ」
理由を聞くと、足利はよそから来た人間が商売をしても、絶対にうまくいかない土地だからだそうです。
本当かウソかは知りませんが、足利で商売ができれば、日本のどこにいっても商売ができると言われていると聞いたこともあります。
地元出身ではない人間や企業とって、それだけ足利は商売を成功させるのが難しい場所のようです。
このことは、学習塾についても当てはまります。
この18年の間、私の塾の近隣にも、けっこうな数の塾が進出してきました。
しかし、そのほとんどが5年ももたず、早々に撤退しています。
駅前の大手学習塾は、県内最大手ということもあり、おそらく10年以上はもったかと思います。
しかし、それでも最終的には、今回のように撤退となってしまいました。
よそから来た人間や企業が、足利に定着する難しさをあらためて実感しました。
以前もたびたび書きましたが、私は足利の人間ではありません。
足利にやって来たのは、今から20数年前、30代になるちょっと手前の頃の話です。
北関東を拠点とした、ある大手学習塾に就職するためです。
そして、そこでの修行を経たのちに、34歳の時に独立して、この足利に森戸塾を立ち上げました。
大変ありがたいことに、個人経営の学習塾としては、開業1年目からかなりの数の生徒に集まってもらうことができました。
苦労したことも数え切れないほどありましたが、それでも、今年の春で満18年を迎えます。
無我夢中の18年間でしたが、自宅開業などの極めて小さな塾をのぞけば、これだけ長く続いている学習塾は、自分の塾も含めて、足利にはごくわずかしかありません。
私がよそから来た人間であることを考えると、私の塾が生き残っているのは、まさに奇跡としか言いようがありません。
しかし、他の塾とは違い、なぜ私の塾が足利の人たちに受け入れてもらえたのかは、正直わかりません。
しかし、1つだけ理由を挙げるとすれば、それは、私がつねに一生けんめいだったからだと思います。
「足利の人たちに信頼してもらうためには、とにかく自分の一生けんめいな姿を見てもらうしかない」
「やめておけ」と、おどかされるたびに、私はこう決意を固めていきました。
そして平成16年、森戸塾を開業したのです。
現在、森戸塾ではかなりの数の生徒が、保護者様の「口コミ」によって集まってきています。
問い合わせの際、多くの保護者様がこのような言葉を口にします。
「かなり熱心な先生だと聞いたので」
「ものすごく面倒見がいいと聞きました」
「とにかく教え方がうまいと聞いています」
私にとって、これ以上ないくらいに嬉しい言葉です。
このような言葉を頂戴するたびに、私の塾が「足利の学習塾」になれたことを実感します。
春は学習塾にとって、新たな生徒を集めるための大切な季節です。
特に、卒業生が抜けた穴をいかに埋めるかが、塾の経営にとっては大きな課題です。
ですから、多くの塾が多額の費用をかけて、何度も新聞に折り込みのチラシを入れます。
そして、春休みの直前には、学校前でのチラシの配布をくり返します。
しかし、私の塾はもう何年もチラシの折り込みをおこなっていません。
学校前でのチラシの配布も、今年はコロナの影響を考えて控えました。
しかし、それでもふたを開けてみると、ものすごい数の生徒に集まってもらうことができました。
卒業生が抜けた穴は、新学期のスタートを待たずして、すでに埋まっています。
ただただ、感謝・感謝・感謝です。
この感謝の気持ちを胸に、今年も一生けんめいがんばりたいと思います。
今日はこのへんで。