必要なのは精神年齢

こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。

2日続いた雨もすっかり止んで、今日は久しぶりに気持ちのいい晴れとなりました。

今週から各中学校で期末試験がおこなわれます。

今日は日曜日ですが、午後から教室を開放して、生徒の質問にバッチリ答える予定です。

しっかりと試験の準備をして、満足いく点数を取ってもらいたいと思います。

さて、先日、足利の子どもたちの平均学力が、きわめて低いという話を書きました。

2つの偏差値

原因はいろいろと考えられますが、保護者の方々の教育に対する関心の低さもそのひとつだと思います。

長年、足利で塾をやっていて思うことは、正直、地域全体でもう少し教育に関心を持っていただきたいなということです。

しかし、逆に関心を持ちすぎるのもよくありません。

ごくたまにですが、思わず「教育オタク」と呼びたくなってしまうような人たちがいます。

とにかく教育に関する情報が大好きで、自分の子どもに「人とは違った何か特別な教育」を与えたがるような人たちです。

将来、我が子に豊かな人生を歩んでもらいたいという親の愛情からだと思いますが、一歩間違えると、子どもにとってはいい迷惑となってしまいます。

「早期教育」がその典型的な例です。

最近、さまざなところから、早期教育は意味がないという意見が出ています。

慶応大学医学部教授の高橋孝雄氏は、大事なことは「遺伝子」によって決まるので、早く始めたからいいというわけではないと指摘しています。

早くできるようになるだけで、それ以上でもなく、それ以下でもないとも言っています。

そして、そのことを、親が平均的な運動能力の場合、2歳から水泳を始めたからといって、オリンピック選手になれるわけではないというたとえ話で説明しています。

私も含めて、親は子どもを「親ばかフィルター」を通して見ます。

幼児期までは特にそうです。

ちょっと英単語が言えたり、簡単な計算ができたり、地球儀を回しながら適当な国の名前を口にしたりすると、とたんにこう思うのです。

「うちの子、天才かもしれない!」

しかし、私の場合、そのあとすぐに冷静になってこう考えます。

「いや、俺の子がそんなはずないな」

ですから、我が家の子どもたちは、親から早期教育を押しつけられることなく、のんびりと育っています(笑)。

「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」

昔からこのように言いますが、期待をかけて早期教育をしても、人より早く覚えたというだけで、ある程度の年齢になれば、ただの人になってしまうケースがほとんどなのです。

外国語なども特にそうで、親の仕事の都合で海外で暮らす子が、現地の言葉を家族のだれよりもはやく覚えるという話はめずらしくありません。

しかし、帰国すると、忘れてしまう速さも一番なのです(笑)。

また、早期教育には無視できない弊害もあります。

プロ家庭教師の西村則康氏は、早期教育は、脳が自然に育つプログラミングを無視して、無理やり早くつくりあげようとするものだと指摘しています。

自然に逆らうわけですから、もちろんいろいろなマイナスが生じます。

西村氏によると、直感で物事をとらえることが習慣になってしまい、理解や納得に興味を示さなくなってしまうことがあるそうです。

また、ある教科の成績が抜群でも、その他の教科がまったくできなくなってしまうこともあるそうです。

このように、早期教育には、親の満足と引き換えに、子どもの人生に大きな重荷を背負わせてしまう危険すらあるのです。

やはり、何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というわけです。

では、親は子どもの教育について、どのような点に気を付けるべきなのでしょうか。

私が強調したいのはつぎの2点です。

まず、その学年ごとに要求される内容を、子どもがしっかりと理解できているかをきちんと把握することです。

そして、年齢にふさわしい「精神年齢」が得られるよう、適度に自立をうながしながら子どもに接することです。

1点目については説明は不要だと思います。

2点目の「精神年齢」についてですが、入試に近づいても、いっこうに本気になれない生徒が、ごくたまにいます。

「このままでは合格できないよ」と、何度奮起をうながしてもダメです。

入試が近づき、まわりの生徒が真剣になっているのを見ても、それでも、いっこうに変われないのです。

私は大人と子どもの違いについて、生徒たちにこのようなたとえ話で説明します。

「君たちの家のお父さんが、気分が乗らないからといって、仕事に行かなかったらどうする?」

すると、ほとんどの生徒は、私が言いたいことに気づいてくれます。

そして、自分の目標をかなえるためには、たとえやりたくないことであっても、やらなければならない時があると理解してくれるのです。

しかし、それでも理解してくれない子も、実際にいるのです。

そこまでいくと、学習塾ができることの範囲を超えています。

家庭のなかで、10年以上にもわたって許されてきた考え方を、学習塾が変えることは不可能だからです。

ですから、必要なのは「早期教育」ではないのです。

年齢にふさわしい「精神年齢」なのです。

それさえ備わっていれば、あとは子ども自身が考えて、自ら必要なことをしっかりと学んでいくのです。

今日はこのへんで。