こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。
昨日の夕方から今日の朝にかけて予想されていた雪は降らず、結局は雨でした。
雪景色も風情がありますが、そのあとが大変なので、降らなければそのほうがいいと思います。
ただし、まだ1月なので、これからしばらくの間は雪の予報が出ることもあるでしょう。
もう、かなり昔の話ですが、私が高校入試を受けた年は、関東地方にたびたび大雪が降りました。
公立高校の受験を終えて外に出ると、ひらひらと雪が舞いはじめ、その日の夜には積もるほどの雪になりました。
「受験の前でなくてよかった」と、ほっとしたのを覚えています。
私の出身地である埼玉県は、公立高校入試が2月におこなわれますが、ご存知のとおり栃木県は3月に入ってからです。
時期的に雪になる可能性は低いですが、受験生諸君がベストな状況で試験会場に向かえることを祈っています。
さて、今日は学習塾が子どもたちにあたえる「デメリット」について書きたいと思います。
学習塾の「デメリット」など、考えたこともなかったという保護者様もたくさんいるかと思います。
しかし、子どもたちにとって、学習塾には確実に「デメリット」もあります。
それは「子どもたちの自主性を奪ってしまう」ということです。
私が子どもだった頃の塾とくらべると、現在の学習塾は「至れり尽くせり」です。
定期テストの前には「定期テスト対策補習」。
英検の前には「英検対策補習」。
そして、多種多様にわたる「オリジナル教材」。
このようなものは、私が子どもだった頃の学習塾にはありませんでした。
それもそのはずです。
当時の子どもの数は、現在のほぼ2倍です。
学習塾がサービスを競い合わなくても、十分に利益を上げることができた時代でした。
しかし、それからおよそ30年、現在では、年々少なくなっていく子どもを、多くの学習塾が取りあっている状況です。
そのため、だんだんとサービスが過剰となり、現在の「至れり尽くせり」の状態となってしまったわけです。
それでは、これらのサービスによって、現在の子どもたちは、以前の子どもたちよりも学力が上がったのでしょうか。
答えはノーです。
私は塾の講師として、20年以上にわたって子どもたちと接してきました。
しかし、子どもたちの学力は年々下がりつづけている印象です。
特に足利ではその傾向が顕著です。
いったいなぜでしょうか?
それは、生徒欲しさにおこなう塾による過剰なサービスが、子どもたちから「自主性」や「自ら考える習慣」を奪っているからです。
「どうせ大人が全部どうにかしてくれるから」
勉強に対する姿勢が、このような感じになってしまっているのです。
定期テストにしても、英検にしても、自分の力でどうにかするという発想がほとんどないのです。
また、大量の教材も、生徒たちに誤解を与えています。
1つの教材にとことん取り組み、それを完璧に仕上げることが勉強の王道です。
しかし、あれこれと教材を渡されてしまうと、勉強にはたくさんの教材が必要であると誤解してしまうのです。
そして、あちこちに手を出した結果、すべてが中途半端になってしまうのです。
ところで、勉強の真価が問われるのは、学生の時だけではありません。
むしろ、社会に出て働くようになった時ではないかと思います。
それは「いい学校を出れば一流の会社で働ける」というようなたぐいの話ではありません。
「自ら考えて勉強しなかった人は、自ら考えて仕事ができない」ということです。
仕事に自らの工夫ができない人は、いい仕事ができません。
私はかつて、社員数が200名を超える大手学習塾に勤めていました。
私は当時新設の私立大学しか出ていませんが、同じ社内には東大をはじめとして、名だたる一流大学を卒業した社員が大勢いました。
しかし、その人たちの仕事ぶりを見ると、なかには「これはちょっと」と思わざるを得ない人も結構いました。
自分で考えることができず、つねに誰かの指示がないと動けないのです。
また、仕事に工夫がないので、効率が悪く、とても時間がかかります。
万事がこのような感じなのです。
しかし、その一方で、有名大学の出身ではなくても、自ら工夫して仕事をどんどんこなしていくような人もいました。
そのような人は、会社に対して新しい提言なども積極的におこない、とても速いスピードで昇進していきました。
それまでの姿勢を正し、新しい姿勢を社会人になってから身につけるのはとても困難です。
このようなことからも、勉強への取り組み方は、成績の問題以上に重要な問題を含んでいるわけです。
この点をふまえて、私の塾では、まずは自分でやれることは自分でやらせ、そのうえで必要な部分を手助けするという方針に徹しています。
「まずは自分の力で」
これこそが、困難な時代を生き抜くために必要な心の姿勢というわけです。
今日はこのへんで。