こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。
先日おこなわれた特色選抜入試の結果が、明日発表されます。
私の塾からは3年生のおよそ半分の生徒が受験をしました。
一般選抜にくらべてきわめて倍率が高い試験なので、合格するのは簡単ではありません。
しかし、私の塾では、毎年ほとんどの生徒が合格をしています。
今年も期待して結果を待ちたいと思います。
さて、私が大手学習塾に勤めていたころの話です。
毎年、夏期講習になると、それまで塾に行っていなかった中3生がたくさん集まります。
そして、ほとんどの生徒が2学期以降もそのまま通い続けます。
しかし、ある年のことです。
もうじき夏期講習が終わるというのに、継続の手続きを取らない男子生徒が1人いました。
いっしょに夏期講習に参加している友達は、すでに全員手続きを済ませています。
「ひとりで受験勉強するのは大変だから入りなよ」
何回も誘ってみましたが、首を縦に振りません。
そして、とうとうそのまま夏期講習が終わってしまいました。
それから2カ月後の10月のある日、その彼がお母さんとともに塾に現れました。
「今日はどうされましたか?」
「実は、息子を入塾させようと思いまして」
そして、お母さんはこれまでのことを話してくれました。
夏期講習が終わるちょっと前に、お母さんはそのまま塾に通い続けることを勧めたそうです。
しかし、彼は「自分で受験勉強できるから大丈夫」と言って、お母さんの勧めを断ったそうです。
実は、彼の家は母子家庭でした。
彼は家計のことを心配して、お母さんの勧めを断ったのです。
しかし、その時、お母さんには本当の理由は言わなかったそうです。
お母さんが本当の理由を知ったのは、そのあとでした。
彼にはお姉さんがいました。
そのお姉さんが、思うように受験勉強が進まないことで、毎日イライラしている弟の様子を、お母さんにこっそりと伝えたのです。
お姉さんの話を聞いたお母さんは、彼に問いただしたそうです。
「どうしてあの時、そのまま塾に通いたいって言わなかったの?」
彼はやっと本当の理由を口にしました。
「これからすぐに手続きに行くよ!」
そう言って、お母さんはそのまま彼を連れてきたということでした。
料金の説明をすると、思っていたよりもだいぶ高かったようで驚いていました。
「それではよろしくお願いします」
お母さんはこう言って、手続きを終えて帰っていきました。
彼はその後、志望校に合格しました。
それから20年あまりの年月が経ちますが、私はこのときのことがいまだに忘れられません。
そして、時折、生徒たちに話します。
林修先生が、あるテレビ番組で「勉強は贅沢である」という話をしていました。
勉強をするのにはお金がかかります。
義務教育であってもまったくタダといわけにはいきません。
勉強をするには、お父さんやお母さんが一生けんめいに働いて得たお金が必要なのです。
しかし、多くの子どもたちは、勉強のできる環境を贅沢であるとは考えていません。
そして、お父さんやお母さんががんばって、その贅沢な環境を与えてくれていることにも気づいていません。
それどころか、勉強はできればしたくないもの、避けて通りたいものと考えています。
私自身も子供の頃はそうでした。
しかし、人はありがたみを感じてこそ、そのものの大切さがわかります。
ですから、学習塾はただ勉強を教えるだけではなく、子どもたちに、勉強ができることのありがたさも伝えていかなければならないと考えています。
そのような理由から、もう20年も前の話を、私は今でもたびたび生徒たちに語って聞かせるのです。
私は、基本的に学習塾は勉強を教える場であり、しつけの場ではないと考えています。
しかし、何事であっても、まずはその前提となる考え方が身に付いていなければ、上達しないことも事実です。
「勉強道」などと大げさなことを言うつもりはありません。
しかし、勉強はだれかによって支えられて初めてできるものであり、他人ではなく、自分のためにするものであるということぐらいはわかってもらいたいと思っています。
私は塾の講師でもありますが、3人の子どもの父親でもあります。
同じ年頃の子どもを持つ親として、子どもの教育に悩む保護者様の気持ちがよくわかります。
ですから、塾の講師としての立場からではなく、思春期の子どもを持つ親としての立場から生徒を指導することもあります。
「お父さんやお母さんの気持ちも考えてごらん」
こう言うと、ほとんど生徒が素直に聞いて、うなずいてくれます。
塾講師になりたての頃にはできないことでしたが、ある程度の歳を取り、親としての経験を積むことによってできるようになったことです。
これからも、保護者様と二人三脚で、生徒たちの指導に取り組んでいきたいと思います。
今日はこのへんで。