塾屋の教える人生論

こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。

昨日は春のような温かさでした。

私は冬になると、ユニクロのダウンベストが手放せないのですが、昨日の日中はさすがに暑くて着れませんでした。

まだこれから寒い日もあると思いますが、春がすぐそこまで来ていることが実感できます。

春といえば、私の塾の中3生たちにも少し早い春がやってきました。

昨日は特色選抜入試の合格発表でした。

残念ながら1名が内定を逃がしましたが、ほかの生徒は全員合格内定を勝ち取りました。

これで、私の塾の中3生は、すでにほぼ半分が県立高校の合格を手にしたことになります。

特色選抜試験の合格枠は、定員の20%から30%程度しかありません。

一般選抜にくらべて倍率も高く、合格するのがなかなか難しい試験です。

その試験で、これだけの生徒が合格するのは快挙と言ってもいいと思います。

今年も、森戸塾が特色選抜入試に強いことを、生徒たちが見事に証明してくれました。

ところで、今回合格した生徒をくわしく見ると、ほぼ全員が1年生の時から森戸塾に来ている子たちです。

特色選抜では、面接と作文の試験がおこなわれます。

しかし、受験生の合否はそれによって決まるわけではありません。

たびたび書いているように、調査書の「評定」によって決まるのです。

面接と作文は、参考程度にしか過ぎません。

「評定」は1年生の1学期から3年生の2学期までの成績を、135点満点で点数化したものです。

したがって、特色選抜で合格するためには、1年生のときからしっかりとした成績を取っている必要があります。

まさに「3年がかり」で合格を勝ち取る試験なのです。

ほかの地域の中学生にくらべ、足利の中学生はとてものんびりとしています。

3年生になってから、ちょこっとだけ勉強をすれば、それで高校に合格できると思っています。

そして、実際にほとんどの中学生が、3年生になるまで勉強らしい勉強をしません。

このような環境のなかで、早い段階から、自分ひとりだけがしっかりと勉強に取り組んでいくのは、かなり困難です。

それをするには、相当に強い意志が必要です。

たいていの子は、ついつい「朱に交われば」となってしまいます。

私は足利で塾を開いて、今年で17年目になります。

それ以前は大手学習塾で教えていました。

大手学習塾時代は、いろいろなところで生徒を教えました。

足利市内はもちろんですが、ほかの栃木県内や群馬県内などでも教えました。

埼玉県内で教えたこともあります。

ですから、足利の子どもたちの「スロースターター」ぶりが、当時からひじょうによくわかっていました。

そして、わかっていたからこそ、自分の塾を開く際に決めていたことがあります。

それは「足利の中にあって足利らしくない空間」を作るということです。

生徒たちが、早くのうちから真面目にがんばることを、当たり前と思えるような空間です。

そこに来れば、がんばる仲間に出会えて、自然とやる気に目覚めるような空間です。

私は学習塾の人間ではありますが、成績がいいことがすべてだとは考えていません。

すべての人間が有名大学や有名企業を目指したら、世の中が成り立たなくなってしまいます。

生き方や人生は十人十色であってしかるべきです。

しかし、将来どんな人生を歩むにせよ、いまの自分から、さらに「一歩上の自分」を目指す姿勢は欠かせません。

中学生が勉強をしなくてはいけない理由は、まさにそこにあります。

炭酸水素ナトリウムを加熱すると、炭酸ナトリウムと水と二酸化炭素が発生します。

しかし、そのような知識は日常生活では必要ありません。

しかし、その不必要な知識を学ぶことを通して、実は、中学生たちは「一歩上の自分」を目指す姿勢を学ぶのです。

ですから、すこし大げさに聞こえるかもしれませんが、勉強をしないということは「生きるための姿勢」がいつまでたっても身につかないということなのです。

今回、特色選抜に合格した生徒たちは、3年間にわたって、私の塾で「生きるための姿勢」を学んだ子たちです。

合格という結果は、その姿勢によってもたらされたものです。

そして、3年間をかけて学んだこの姿勢は、生涯にわたってこの子たちの人生を支えてくれるはずです。

私は自分のことを、勉強を教えることが仕事の「塾屋」だと思っています。

けっして「教育者」だとは思っていません。

中学時代は先生に叱られてばかりでした。

また、高校時代は停学処分になったこともあります。

あともう少しで退学というところまでいったこともあります。

ですから、子どもたちに「人生を教える」などと、大それたことはできません。

しかし、ひとりの大人として、これだけは教えなければならないと思っています。

成績が悪いことがいけないのではない。

努力をしないことがいけないのである。

今日はこのへんで。