こんにちは。足利の学習塾 森戸塾の森戸です。
近ごろ、地震が多いですよね。
昨日、今日と、2日続けて同じような時刻に発生。
そして、たったいま、スマホを確認したら、またまた「地震発生のお知らせ」。
揺れには気づきませんでしたが、今度は栃木県北部が震源のようです。
大きな地震の前兆でないことを祈ります。
東日本大震災からすでに9年近くが過ぎました。
私自身、あの時の記憶がだんだんと薄らいでいく中で、地震に対する防災意識も少しずつ下がってきているように思います。
いま一度、意識を高めて備えなければと思います。
さて、経済開発協力機構(OECD)が行った国際学習到達度調査(PISA)で、日本の子どもたちの「読解力」が、前回、前々回にひきつづいて、さらに低下したことが報道されました。
3年ごとにおこなわれるこの調査ですが、日本の子どもたちの「読解力」は、前々回の4位が、前回は8位に、そして今回は、参加した79の国の地域のなかで15位となってしまいました。
国語力は、国語の成績はもちろんのこと、国語以外のすべての教科の成績にも影響します。
理科も社会も数学も日本語を使って学ぶからです。
実は英語もそうです。
「ピアノをひいている少女は私の妹です」という文を英語に訳すとします。
この文を正しく英訳するためには「ピアノをひいている」が「少女」を修飾していて、その部分がこの文の主語(主部)になっていることがわかっていないといけません。
ちなみに、これは「関係代名詞」の文となりますが、学習するのは中3です。
このように、英語も中3ぐらいになると、国語の力がけっこう成績に影響してきます。
子どもたちの国語力の低下が話題になると、きまって挙がるのが「もっと読書を!」とか「スマホの制限を!」という声です。
どちらも、まさにその通りの意見です。
国語力の養成に読書が不可欠なのは言うまでもありません。
また、スマホを使ってばかりいると、読書の時間がとれないばかりか、長い文章を読んだり書いたりすることが苦手となってしまいます。
スマホを使ってのメッセージのやりとりは、基本的に短い文のみです。
また、絵文字やスタンプなどが使えるので、文章のみで相手に何かを伝えたり、相手の言いたいことを理解する力が育ちません。
しかし、ただでさえ時間のない中学生に、これ以上の読書を求めたり、これだけ普及してしまっているスマホを、いまさら取り上げるわけにもいきません。
したがって、まだ小学生であれば話は別ですが、すでに中学生になっている子にとっては、どちらの意見もあまり現実的ではありません。
そこで、私が提案するのは「語彙力」を鍛えることです。
これについては以前も同じことを書きました。
読書の量があまり多くない子でも、語彙力があれば、塾の助けを借りることによって高校入試の国語を突破することができます。
入試の読解問題には明確な解き方がありますが、ちゃんとした塾であれば、それを生徒にしっかりと指導するはずです。
しかし、その解き方は、ある程度の語彙力がないと使うことができないのです。
だから「語彙力」なのです。
語彙力を鍛えるには、読書のように長い時間は必要ありません。
専門のテキストを使って、毎日少しずつ覚えていくだけです。
これなら、時間のない中学生にもできるはずです。
ところで、教育に関する話題については、よく「理想論」が語られます。
さきほど挙げた「もっと読書を!」とか「スマホの制限を!」などもその例です。
実際に、ニュースのコメント欄にも、そのような意見があふれていました。
しかし、理想はあくまでも理想です。
その通りにできるのであれば、子どもの教育に苦労するお母さんはいないはずです。
子どもの教育には「こうするほうがいい」とわかっていても、さまざまな事情により、その通りにはできないこともたくさんあります。
また、塾のほうから「読書量を増やしてください」とか「スマホを取り上げてください」と言っても、すべての家庭がその通りにできるわけでもありません。
ですから、塾はまずはその前提に立ったうえで、子どもたちの指導にあたる必要があるわけです。
「読書量を増やす以外に何か方法はないか?」
「スマホを取り上げる以外に何か方法はないか?」
さまざな制約のなかで、現実的かつ最善の方法を考え、それを実行し、結果に結びつけていくのが塾の仕事なのです。
教育評論家が言うところの教育が、教育の「理想」であるとすれば、塾のおこなう教育は、現実的にできることのなかでの「最善」を意味します。
理想論ばかり語っていても塾は務まりません。
ですから、私は生徒や保護者の「困った」を、だれよりも「現実的」に解決することができる、地域一番のプロフェッショナルでありつづけたいと思います。
今日はこのへんで。